長谷川栄雅と「日本の美」

2022.10.11

日本の秋に欠かせない「柿」

秋の味覚として親しまれる「柿」。その実を味わうことはもちろん、染料や薬として使用するなど、古くから日本人の生活に深く関わってきました。今回は、日本で独自の進化を遂げた歴史や、俳人に愛された逸話などをご紹介します。

日本で独自の進化を遂げた柿

色鮮やかな橙色に、秋の到来を感じる柿。その原産地はわかっていませんが、日本における柿の歴史は古く、約170万年以前に形成された岐阜県瑞浪市の第三紀層からは、柿の化石が発見されています。また、縄文時代や弥生時代の遺跡からも柿の種が見つかっており、古代人が柿を食べていたことがうかがえます。

奈良時代には日本各地で栽培されるようになりましたが、この頃、柿の種類は渋柿しかなく、主に干し柿などにされていました。平安時代の法典『延喜式』には柿を祭礼のお供えとしていたことなどが記されています。また、この頃に編纂された日本最古の薬物事典『本名和名』には「加岐」として記述が残っており、「柿が赤くなれば医者が青くなる」という言葉があるように、その栄養価の高さは昔から知られていました。

そして鎌倉時代、日本の柿に大きな変化が起こりました。渋柿に突然変異が起き、そのまま食べられる甘柿が生まれたのです。そのため甘柿は日本原産の果物。さらに江戸時代になると、さまざまな品種が誕生し、現在では1,000を超える種類があるといわれています。

 

正岡子規や松尾芭蕉の俳句に登場

昔から日本人に身近な柿は、俳句の作品にも多く残っています。柿好きな俳人として有名なのは「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の俳句で知られる正岡子規。子規は34年の生涯にわたって柿を愛しており、しばしば作品にも登場します。友人の夏目漱石の長編小説『三四郎』では子規をなぞらえた人物について「ある時大きな樽柿を十六食ったことがある」と語られる場面も。また晩年に子規は「私が死んだら、柿食いの俳句好きといってほしい」という言葉を残しました。

また俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の俳句にも柿の記述が。「里古りて柿の木持たぬ家もなし」という作品では、柿の木のある田舎の風景が、郷愁をそそる日本の原風景であることを謳っています。

日本から世界に広まった「KAKI」

現在は世界中で食べられている柿ですが、16世紀に日本が行っていた南蛮貿易によってヨーロッパに伝わったといわれています。そのためフランスでは柿は「KAKI」、イタリアでは「CACHI」と記されており、その後、アメリカ大陸に広まりました。ちなみに欧米では果実を切って食べるのではなく、完熟してトロトロになった柿をスプーンで食べたり、シャーベットなどにすることが多いそう。

食欲の秋。歴史の深さに思いを馳せながら、柿を存分に味わいましょう。