長谷川栄雅と「日本の美」

2022.04.21

小さな一粒に、歴史や不思議が詰まっている「金平糖」

華やかな彩りの可愛らしい見た目と、どこか懐かしさを感じる甘さでおやつや贈りものに人気の金平糖。その小さな一粒一粒には、約500年前に遡る歴史や、形の不思議が詰まっています。

ポルトガルから伝来した「コンフェイト」

今では雛菓子や結婚式の引き出物など、日本の伝統的な砂糖菓子のイメージがある金平糖。しかし、元々はカステラやボーロといったポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つで、1546年に宣教師の手によって持ち込まれたもの。ポルトガル語の「コンフェイト(砂糖菓子)」が変化し、金平糖と名付けられました。なお、この頃の金平糖は現在のような形ではなく、ゴツゴツとした白い球状で、硬い飴のようなものでした。

1569年には、宣教師ルイス・フロイスによって織田信長に献上され、信長はその形や味に大変驚いたといわれています。当時は、公家や上級武士しか口にすることができないほど貴重なもので、その作り方も秘密にされていました。

その後、江戸時代に鎖国下の長崎で作られるようなり、京都や江戸へと広まり、次第に庶民にも手が届くように。形も華やかない色合いで、金平糖特有のトゲトゲとした「角(ツノ)」があるものへ変化しました。さらに明治時代以降には、駄菓子として子どもたちにも好まれるようになりました。

 

完成まで、根気よく作業を続けること2週間

小粒な金平糖ですが、実は完成までに2週間以上を要する、大変手間がかかるお菓子です。金平糖の製造方法は、砂糖の蜜をかけて乾かすという作業を繰り返し、少しずつ大きくしていくもので、具体的には下記のような手順が一般的です。

1.糖蜜を作る
グラニュー糖を大きな鍋で溶かし、砂糖を液状にして糖蜜を作ります。

2.ザラメに糖蜜を振りかける
金平糖を核となるザラメやいら粉(もち米を擦りつぶしたもの)をドラ(傾斜が付いた回転する大きな釜)に入れて糖蜜を振りかけ、火であぶりながら全体をかきまぜ、糖蜜が満遍なく行き渡るようにします。

3. 角が出るまで繰り返す
上記の1と2の作業を数日間繰り返します。そうすることで、最初は丸かった核が糖蜜をまとい、次第に角が生まれます。

これらの作業を2週間ほど繰り返した後、サイズがそろえられ、着色されて完成します。現在、伝統的な製法で金平糖を作っているのは、一子相伝で技を引き継いでいる京都の一店舗のみといわれてます。

 

なぜ、できるかわからない?角の不思議

金平糖の特徴の一つはトゲトゲした角ですが、なぜこの角ができるか、長い間、科学者でもわかりませんでした。その謎の解明に向け、本格的な研究が始まったのが1980年代に入ってからのこと。

コンピューターなどを駆使して実験と解析を行った結果、金平糖がドラの中で転がる際に、熱い鉄板がふれたところだけ、糖蜜が乾いて硬くなります。その部分がわずかに出っ張るため、他の部分より糖蜜が付きやすくなり、徐々に突起が大きくなっていくことがわかりました。なお、糖蜜が均一にふりかけられ、味や食感もよい金平糖には、20~24個の角が生まれるということもわかっています。

一粒一粒は小粒でも奥深い歴史や逸話を持つ金平糖。そんなストーリーを思いながら口にすれば、いつもとは一味違った味わいを感じられるかもしれません。