長谷川栄雅と「日本の美」

2023.07.05

歴史の中で酒器へ役割を変えた「枡」

日本酒をいただく時や節分の豆まきなどに使われる「枡」。時代と共に変化した使い方など、日本に古くから存在する身近な道具の歴史や文化についてご紹介します。

1300年以上前から存在

日本の枡の歴史は、室町時代にまで遡ります。国内最古の枡といわれているのものは、奈良の平城京跡から出土した四角い木枡です。その年代と同じ頃、701年に施行された「大宝律令」では、「度量衡制度」が定められました。これは租税や土地制度などの確立のため、「度=長さ」「量=体積」「衡=重さ」の単位を定めたもので、体積は「升(しょう:枡の語源)」を単位にすることが記されています。このことから1300年以上前から枡がはかりとして使われていたと考えられています。

なお、この頃の中国や朝鮮半島のはかりは金属や陶器が一般的。木でつくられた枡は、豊かな森林に恵まれた日本ならではの文化といえます。

 

豊臣秀吉が容量を統一

大宝律令によって定められた、長さの「尺」、重さの「貫」はその後も大きく変化することはありませんでしたが、1升の容量は地域や時代によって異なりました。

当時、枡は米や酒、油、魚や芋など、あらゆるものを量るために使用されていました。そこで穀物の年貢などをより多く得ようとする領主が、計量に使う枡を大きくするといったケースが多発していました。この枡を統一しようと、後三条天皇は「延久宣旨枡(えんきゅうせんじます)」という基準となる枡を作りましたが、その後もさまざまな枡が登場しました。これを再びまとめたのが豊臣秀吉。秀吉は京都で使用されていた「京枡」による1枡=10合を基準し、太閤検地では土地ごとの生産量の計算に採用しました。江戸時代になると徳川家康が一時、「江戸枡」と呼ばれるものを使用しますが、1669年に京枡以外の使用が禁止されました。

 

ハレの日の縁起物として

その後、明治時代になると新政府は物量表記をメートル法に移行し、枡ははかりとして用いられることはなくなり、次第に酒器などにその役割を変えていきます。

神様のお供えに使用する米や豆を入れていた枡は神聖なものと考えられ、縁起物として邪気を払うという言い伝えも。そのため結婚式など祝い事の席で用いられます。木の香りや木目の美しさなどは、お酒を一層おいしくしてくれます。

ちなみに枡の中にグラスを置き、その中になみなみと日本酒を注ぐことを「もっきり」といいますが、これは酒の量り売りが中心だった江戸時代に、枡で徳利のぎりぎりまで注いで売る「盛り切り」が語源。また「升」は、現在も日本酒の量を表すときに用いられるなど、枡の文化は私たちの暮らしに根付いています。